最終更新日:2017年1月9日
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テレビ「ブラタモリ第49回・宮島、10月1日」あらすじまとめ
人気芸能人のタモリが観光地などを歩く人気番組「ブラタモリ」。
第49回となる10月1日の放送は広島県廿日市市宮島町で瀬戸内海に浮かぶ厳島神社が有名な宮島。
まず、「ブラタモリ第49回・宮島、10月1日」のあらすじを一言でまとめます。
たしかに宮島は神の島に思える
海に浮かぶ赤い大鳥居が目印の厳島神社は世界的な観光名所になっています。
宮島の歴史をタモさんと一緒に聞けば、そこは本当に神の島に見えてきます。
では、世の中のあらゆる物語、事象のあらすじを解説する「あらすじ大全」が「ブラタモリ第49回・宮島」のあらすじをご紹介します。
「ブラタモリ第49回・宮島」のあらすじ
タモリは修学旅行と10何年か前に宮島に来た。
旅のお題は「宮島は神の島!?」。
県立広島大学宮島学センター助教の大知徳子氏がタモリたちに同行する。
タモリは宮島を見て「なんとなく神々しい」。
大知助教は同意して「神社が立つ前から人々は自然と手を合わせていた」と指摘する。
その山の姿は仏様が横たわっているよう。
大知助教「地元では観音様の寝姿、女神様が横たわっていると言われる」。
厳島神社の大鳥居の表面は「嚴嶋神社」、裏側から見ると「伊都岐島神社」の表記。
なぜ宮島は昔も今も神の島なのか?
まずは厳島神社の参道へ。
12世紀に平清盛が整えた社殿を歩く。
建物を支える柱は海水に浸って弱くなるため根継ぎといって新しい木を継ぎ足して修理している。
台風を守るために使ったという地面に落ちている謎の石を紹介される。
これは社殿を波から守るために使う非常石だった。
今の神職が若いときは非常石を使っていたが、現在は土のうを使っている。
人々が自然と手を合わせたくなるような宮島の形はどうやって作られたのか
安島にそびえる弥山(みせん)の頂上目指してロープウエーに乗る。
高所恐怖症のタモリはロープウエーは駄目だという。
神の島、宮島がどうやって誕生したかを知る人で広島大学名誉教授、於保幸正(おほ・まさゆき)氏が登場。
於保名誉教授は弥山は花崗岩ばっかりだと指摘。
宮島を作っているのは花崗岩だった。
山を登って霊火堂につく。
霊火堂の裏には巨石があり、信仰の対象になっている。
周辺に置いてある地蔵は遊び心でサングラスをかけている。
霊火堂からさらに頂上を目指すと道中に不動岩やくぐり岩など奇石、怪石などがある。
くぐり岩などを進み。ついに頂上にたどり着く。
花崗岩の風化が生みだした普通の世界では見られないような景色が広がる。
一同は普通の島だったら弘法大師も修行しようと思わなかっただろうと納得。
平行な稜線と谷はどうやって生まれた?
展望台からの眺めは絶景。
岩と岩の割れ目、節理は一直線だと気づくタモリ。
島全体の地形図を見ると縦と横に何本も節理が走っている。
数百万年前は宮島は一つの花崗岩だった。
節理にそって花崗岩が崩れていき平行な谷と切り立った稜線が生まれた。
そして神の島の宮島が誕生した。
神の島を維持するためにしていること
神の島を維持するためにしていることを調べるため厳島神社の裏側にある紅葉谷川にたどり着く。
説明するのは廿日市(はつかいち)市役所維持管理課の末原さん。
紅葉谷川は昔から人々に愛されてきた観光名所で川遊びを楽しむ古い絵図も残っている。
川を掃除するときに紅葉谷川には滝が出現する。
紅葉谷川の上流では石と石の間にコンクリート、砂防工事も施されている。
過去、崩れやすい宮島では土砂災害に悩まされていた。
昭和20年9月の枕崎台風では大きな被害を受けた。
昭和23〜25年に見た目の美しさを残す砂防工事を行ったのだ。
最後に海水に浸されている大鳥居の近くに到着。
平清盛が作って平家が廃れたのに宮島は壊されていない。
地域の人々の努力があったのだろう。
「ブラタモリ」10月1日の主要キャスト
・タモリ
1945年8月22日生まれのお笑いタレント。
フジテレビの昼番組「笑っていいとも」に1982年10月4日〜2014年3月31日まで出演。
・近江友里恵
1988年生まれのNHKのアナウンサー。
2016年から桑子真帆の後任で「ブラタモリ」を担当。
・大知徳子(オオチ・トクコ)
県立広島大学助教。
研究キーワードは「宮島学、地域学、博物館学、日本史、地域史」
・於保幸正(おほ・まさゆき)
広島大学名誉教授。
研究分野は地球惑星科学、地質学。
「ブラタモリ第49回・宮島、10月1日」のあらすじやキャストまとめ
次回のブラタモリは10月15日で「富士の樹海」がテーマです。
以上、世の中のあらすじ・歴史・変遷をまとめる「あらすじ大全」による「ブラタモリ第49回・宮島、10月1日」のあらすじやキャストまとめでした。